住職の語り【第四回】

三月十八日から、お彼岸に入ります。雪のないところでは春の足音が聞こえてくるでしょう。しかし、当地米沢ではまだ雪が深く、その足音はまだ遠いようです。それでも日差しは暖かく、心なしか気持ちがなごむように感じます。米沢では昔は雪のために生花がなく、その代わりに三月になると、笹野花(ささのばな)の行商が各家を回ります。笹野花とは、市内にある笹野地区の一刀彫の職人が作るものです。この一刀彫は、米沢の名産品の一つです。笹野花を買うと、ようやく春が来たと感じられます。 日本には春と秋に彼岸法要があり、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)を想い、先祖の供養を行います。当地では八月のお盆に並び、両彼岸にもご先祖様が帰ってくると信じられています。今回は六泊七日の滞在ですから、ご先祖様もゆっくりと自宅で羽を伸ばせるというわけです。久しぶりの我が家ですから、おもてなしも念入りにします。どちらかといえば、雪の多い春よりは、秋の方がより彼岸らしいとも考えますが、みなさんのところはどうでしょうか。 毎日の供養も、もちろん大切ですが節目節目の行事で心もあらたまるというものです。日本は割と四季の区別がはっきりしていますので、彼岸にも彩りが感じられます。ただし、先ほど述べたようにお寺の周辺には雪があり、うちの檀家さんのご先祖様たちは、厚着をしての旅支度となるでしょう。 寺院によって彼岸のとらえ方も違うので、一概に言えませんが私はご先祖様や、有縁(うえん)の御霊(みたま)と共に、その期間を過ごすことが大事なのだと思います。「そばにいてくれるだけで安心する。」それが彼岸なのだと素直に思うし、お盆も同じように感じます。 真言宗ですから、お経や光明真言を唱えます。お経や真言によってご先祖様と私たちが一つになり、そこに喜びが生まれ、共に生きている気持ちが芽生えます。幸福は遠くにあるものではなく、近くに存在するというのが私の持論ですが、今の世の中そうすんなりいくものではありません。 いつ来るともしれない災難に私たちは隣り合っています。できればそれに遭遇したくない、というのが本音です。もし災難にあったら、「近助(きんじょ)」でしのぎましょう。 「助け合い、共生する。」私たちの合言葉です。 この度の彼岸に際し、東日本大震災の犠牲者の御霊に心より光明真言をお唱えし、ご供養いたします。