こんにちは。
今年最後のブログは、お寺で生活しているからこそ感じたことを、そのまま書いてみることにしました。かなり個人的な意見も入っていますが、大切なことなのでInstagramにも掲載したいと考えています。
2024年がもうすぐ終わろうとしている。
1月1日。誰もが1年の幸せと家族の健康などを願う。今年もいい年になりますように、と。
しかし、それを打ち砕くかのように大きな地震が起こった。
振り返ると、今年は元日に能登半島での大きな地震、7月は山形・秋田で大雨の被災、8月は南海トラフ地震の臨時情報の発出、9月は再び能登半島で大雨の被災、夏から秋にかけては記録的な高温になるなど、とても災害の多い1年であった。
このような出来事が起こったとき私は、宗教とは何か、信仰とは何か、考えてしまう。
仏さまがいてくださったら、神様がいてくださったら、どうして救ってくれないのですか。そう問いかけたかった。
しかし、どんなに願ってもかなわないことがある。それを痛いほど感じた1年だった。
信仰するということは、見えないものを信じるということだ。
私は、小さい頃は純粋に仏さまを信じることができていた。しかし、成長していろいろなことが理解できるようになってから、昔のように信じることができなくなっていった。
それは、大人になるにつれ大切な人との別れが増えてきたからだ。
お寺で生活していると、「生と死」がいつもそばにある。
生きているということは、自分も老いていくということ。それと同時に、大切な人たちとの別れが多くなるということ。
この2つは、表裏一体なのだと考えている。
それでも、仏さまを信じて生きていかなければならない。お寺や仏教がなくなってしまったら、信仰がなくなってしまったら、その存在価値がなくなってしまうからだ。
お寺の役割は、亡くなられた人たちを弔う場所だけではなく、そのご家族たちがこれから生きていくために必要な、大切な心のよりどころとなるのである。
悲しいことが多かった年だったが、これからの生き方を考えさせられた1年だった。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。いろいろな考え方があると思いますが、これが「正解」というものは、ありません。何が「答え」かは、いま生きている私たちそれぞれが、これから探し続け、見つけていくのだと思います。
今年も大変お世話になり、ありがとうございました。
来年が皆様にとって明るい年になりますように。
それでは、よいお年をお迎えください。
2024年12月31日