寛政八年(1796)9月6日、上杉鷹山公が恩師である細井平州先生が三度目の米沢来訪に際し、城外遠く6km余の羽黒堂まで迎えに出た際、普門院にご案内し、休憩をとって労を慰められたという敬師の美談として有名な寺院です。当時の対座の一室、またその時使われた茶器、湯桶などの諸道具が今も6千点が残っております。
普門院が再建された寛政8年(1796年)その頃細井平洲という学者が江戸から米沢に向かっていました。 細井平洲は上杉鷹山公が14歳から17歳まで立派なお殿様になるために学問を教えてくれた先生です。江戸を出立されて10日目の朝、大沢という村に到着されたとの知らせが入り鷹山公は待ちきれずに急いで米沢のお城を出立しまだ木の香が残る普門院で平洲先生を待っていました。 旧暦の9月6日、平洲先生ご一行が関根まで近づいたと報告があると鷹山公はお寺の外に出られ大門坂の下で20年ぶりに平洲先生とお会いしました。この当時お殿様がお城を出てお客様をお迎えするということは慣例にないことでした。感激の対面で涙をこぼしながら鷹山公は平洲先生を普門院まで肩を並べ案内し、くつろいで休まれました。 鷹山公は46歳、平洲先生は69歳。教えを受けて30年以上の月日が流れていました。