普門院は仁寿3年(853年)
英慶法印が人々の治安と平穏を祈る為に創立されました。
現在の場所にお寺が建てられたのは米沢が伊達家の城下町だったころ、約450年前です。その後、焼失し現在の建物は寛政8年(1796年)に再建されました。
明治時代になるまで、米沢から板谷峠を通り福島をぬけていく道が江戸に通じる唯一の街道だったので、お殿様が参勤交代で江戸に行く時に休憩する場所として普門院が使われていました。
英慶法印が人々の治安と平穏を祈る為に創立されました。
現在の場所にお寺が建てられたのは米沢が伊達家の城下町だったころ、約450年前です。その後、焼失し現在の建物は寛政8年(1796年)に再建されました。
明治時代になるまで、米沢から板谷峠を通り福島をぬけていく道が江戸に通じる唯一の街道だったので、お殿様が参勤交代で江戸に行く時に休憩する場所として普門院が使われていました。
普門院が再建された寛政8年(1796年)、その頃細井平洲という学者が江戸から米沢に向かっていました。その細井平洲を上杉鷹山が普門院にご案内し、休憩をとって労を慰められたという逸話が残っています。
上杉鷹山公と細井平洲の逸話はこちら
今も普門院にはご接待に使われたお部屋と道具が残されております。(※現在本堂は工事中です)また、平洲先生が記念に植えられた椿の花も毎年春になると、赤い花を咲かせます。
このことから、文部省は昭和10年に普門院を国指定の史蹟として後世に伝えられるようにして以来、普門院のある関根は敬師の郷(さと)として世に広く知られるようになりました。
境内にはその時の様子を書いた平洲先生の手紙の一節が「一字一涙の碑」に刻まれています。
一字一涙の碑はこちら