※これから書く文章は、平洲椿保存会会長の山口邦彦氏が、 米沢御堀端史跡保存会の会報である「懐風 第四十四号」という 冊子に寄稿したものをすべてそのまま引用したものです。
三、認定登録までの経緯
1、 平成二十九年五月、米沢市関根の普門院の椿は、鷹山公と平洲師に由縁があり、歴史と由緒の深い古木ながら学術的・品種的に不確実ではないか?それが明らかになれば、広く社会に名乗り出ることが出きるのではないか?と調査を開始し、更に新潟大学理学部の元教授・石澤進博士(植物分類学・椿学の権威)に鑑定を仰いだところ、日本ツバキ協会(東京都)には未登録の種(しゅ)である事が判明した。
2、 同年六月、石澤博士が登録を目指し論文作成に着手すると同時に、山口は、登録申請には多数の標本木が必要であることと普及のために、挿し木による増殖を開始した。
3、 同年九月、四百本の増殖に成功したことからその資料と論文を、石澤博士の論文に加えて提出の最終段階に入った。
4、 同年十月、当該椿を米沢市のシンボルツリーに資料を揃えて推挙し認定された。
5、 論文が完成間近の平成三十年一月、石澤博士が御逝去(享年八十四才)なされた。
6、 同年五月、新潟県立植物園の種(しゅ)保存推進員の久原氏を頼り、論文の整理と日本ツバキ協会への品種登録手続きについてご指導を仰いだ。
7、 同年八月、完成した論文と共に、品種登録申請を様式に沿って提出。この際、日本ツバキ協会より、「優秀古木ツバキ登録」の制度の存在を教示され、勧奨を受けたので併せて申請をした。二通りの、かなり厳密な申請書に欠くことを許されない映像・写真は全て普門院当代の高橋有子氏が撮影されたものを提出させていただいた。
8、 平成三十年九月、品種名「平洲椿」、同時に「優秀古木ツバキ第十号」(当年度第一号、東北第一号)として、日本ツバキ協会に認定登録された。追って本年度中に会報での告知と「ツバキ・サザンカ図鑑」にも掲載される見通しです。尚、この事はトピックとして米澤新聞社はもとより、山形新聞全県版、新潟日報全県版にも掲載されました。
9、 平成三十年十一月五日、日本ツバキ協会発布の当該椿の認定書の伝達式が、中川米沢市長と協会理事代理山口により、米沢市役所において行われました。
出典元:米沢御堀端史跡保存会 懐風 第四十四号P.103-104